お一人様でEN日😊

ひとり EN日週間

マンダラエンディングノートのファシリテーターとして、EN日週間が8/15に終わることに寄せて😉
88日に EN日が終わりました。
EN日週間は8/8〜15まで
石崎公子さん(お写真左)から「イマドキのエンディングノート事情」をたくさんのデーターと共に伺い、マンダラエンディングノートのもとに集まった方々とご縁を繋ぎ、深めた時間はなんとも言えない柔らかい時間でした✨

今年は、実家への帰省をお盆からずらし、昨年亡くなった大叔母の新盆へも行かず、秋頃に母と大叔母と祖父母のいた山形を訪ねようと話しています😊
マンダラエンディングノートを知る前は、お盆は帰省しなければいけない・・・みたいな感覚がありましたが、今は自分なりに亡くなった人に対して、想いを寄せられたらいいのではないかと思っています
供養について、参加者の皆さんとともに考える時間があったから。

私にとっての供養

その人を思い出すこと、その人の好きだったことをすること、好きだった場所に行くこと、好きだったものを食べることです。
それらをしながらその人を思い出すと、一緒に時間や空間や物事を楽しんでいるように感じます😌
「おばあちゃん、あんこすきやったなぁ」
と思いながら、あんみつやおはぎ、どら焼き、モロゾフのプリン、お豆腐などを食べます。(甘いものが多いからたまにしか買えない。見て思い出す方が多い)
「俊子おばさん、いつもおいしいお茶を淹れてくれたなぁ、お花もきれいに生けてすごかったなぁ」
と思いながら、煎茶を淹れてみたり、お花を飾って自分の中にある大叔母の存在を改めて感じます。
「ひいおばあちゃん、りんどうが好きやったらしい」
とりんどうを眺めます。昨日、偶然に入ったランチのお店にりんどうが飾ってあり、ひいおばあちゃんを感じました。
「おじいちゃん、いつも京都に来る前においしいお魚を送ってくれててたなぁ」
とお魚を美味しく頂くときは、おじいちゃんとお魚がセットで家に来たことを思い出します。
クール宅急便が来てから、おじいちゃんが大きなリュックとハンチングと日本手ぬぐいを手にして到着してました(笑)
「伊勢田のおばあちゃんはどうしてるんかなぁ」
ご縁が切れてしまって、今どうしているのかわからないけれど、小さいときは遊んでもらったことを思い出します。
毎月のお墓参りで父方の祖父、祖父の母が骨佛になっているお寺に行きます。
面識はないけれど、生きていてくれたからこそ命が繫がって今の私がいます。感謝感謝があふれます。
そして、毎日の朝の祈りは
「地球が始まってから亡くなられた方皆さんが天国へ行けますように」
もしかしたら、こころのどこかで仕事を理由に帰省していないのかもしれないけれど、感謝のこころはご先祖様に毎日向けています❤️
山形のだだ茶豆やら玉こんにゃく、祖父母の住んでいた土地のあたりが舞台の「おくりびと」が目に入る数日でした。食べたし、観ました!
       
若いうちに亡くなった友人や大切な方、親戚などへも思いを寄せてひとり EN日😉
エンディングノートを書くことで、自分がどんなふうに残した人に接してほしいかを考えるようになりました。
同時に、先に亡くなった人にどのように接していこうかを、宗教やしきたりに縛られずに考えることができるようになりました。
昔からのしきたりや宗教の教えに真理、自然の法則があるのでしょうが、バランスをとって気持ちよく供養の気持ちを寄せられたらいいのではないかと思う 2018年の EN日です。